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東京地方裁判所 昭和32年(タ)30号 判決 1960年5月31日

原告 岡知良

被告 岡ツル

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、公文書であるから真正に成立したものと推定すべき甲第一号証(戸籍謄本)の記載、原告本人の供述(昭和三十二年十月二十五日訊問の分後記採用しない部分を除く)被告本人の供述(昭和三十三年二月十一日訊問の分但し後記採用しない部分を除く)及び被告の自陳を綜合すれば、原告(大正十一年九月二十七日生)と被告(明治四十五年三月三十一日生)とは昭和二十一年十一月十五日頃事実上婚姻し、昭和二十五年五月二十六日届出により正式に婚姻を為したこと並に両名の間に子供のないことを認めるに十分である。

二、成立に争のない乙第一、二号証の各一、二、の各記載証人中畑敏子 同大町盛明、同岡漆郎の各証言、原告本人の供述(昭和三十二年十月二十五日、及び昭和三十三年八月二十八日訊問の分但し後記採用しない部分を除く)被告本人の供述(昭和三十三年二月十一日、及び昭和三十四年一月二十一日訊問の分但し後記採用しない部分を除く)並びに前段認定の事実を綜合すれば原告は昭和十八年明治大学商学部を卒業し、同年十二月陸軍に入隊し、昭和二十年十一月復員したが、親許をはなれひとり東京にとどまり軍隊時代の知人達と株式会社東京製作所を設立しこれに勤務することになつたこと、当時被告も同製作所に勤務していた関係から原被告は昭和二十一年一月頃互いに相識るに至つたこと、而して自炊をしている上、食糧難で栄養失調になつていた原告が、看護婦の資格を持ち前記製作所の医務係にいた被告から昼飯をつくつてもらつたり、或はビタミン注射をうつてもらう等被告から親切にされ、一方被告も前夫関根得夫が、南方に行き当時未復員でひとり暮しであつたので両者の仲は次第に親密の度を加えていつたが、たまたま同年四月末頃原告が被告と連れだつて散歩するうち、俄雨に降られ、一時雨宿りのため被告方に立寄つたところ、どちらが誘うともなく、両者間に肉体関係が結ばれてしまい、その後、原告は屡々被告と肉体的交渉を続けているうちに結婚を決意し、被告に対して求婚したこと、被告は当時前夫関根と婚姻している身でもあり、その旨及び自己が被告より年長である旨告げて同意しなかつたが、原告が強く結婚を求め且つ同年九月頃復員してきた前夫関根とも円満に離婚し得たので、原告の申出に応ずることとし、同年十一月十五日頃同棲をはじめ、事実上の婚姻生活に入り、その後原被告間の件は暫らく円満であつたこと、原告はもともと内気な性格で、山口県下にいる両親には内密で、被告との婚姻生活に入つたのであるが、自己が長男であり、且つ被告が年長で結婚の経験もあり、被告との正式の婚姻は両親の同意を得られそうもなかつたので、被告と事実上婚姻したものの、直ちに婚姻の届出を了することにふみきれないで居たこと、しかし、原告の前記製作所における地位もあがり、又収入も増すに伴い自然に家庭外で酒を飲んだり、宴会に出席することも多く、従つて被告以外の女性に接する機会も多くなるにつれて、原告との婚姻が二度目であり、その失敗を恐れていた被告は、原告に対し強く婚姻の届出を要求した結果、原告も之に応じ、昭和二十五年五月二十六日婚婚の届出を了するに至つたこと、以上の各事実を認定することが出来る。証人藤川隆邦、山本吉治の各証言、原告本人の供述(昭和三十二年十月二十五日、昭和三十三年二月十一日、同年八月二十八日、及び昭和三十四年五月二十七日訊問の分)中右認定に反する部分は、前掲その余の証拠に照らし措心し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三、第三者作成にかかり当裁判所が真正に成立したものと認める乙第十二号証の記載、証人藤川隆邦、山本吉治(以上いずれも前記採用しない部分を除く)岡漆郎、岡トシの各証言、原告本人(昭和三十二年十月二十五目、昭和三十三年二月十一日、同年八月二十八日、及び昭和三十四年五月二十七日訊問の分但し前記及び後記採用しない部分を除く)、被告本人の供述(昭和三十三年二月十一日、同年六月二十六日、及び昭和三十四年一月二十一日訊問の分、但し後記採用しない部分を除く)並びに前段認定の事実を綜合すれば、

原被告の夫婦仲は事実上の婚姻生活に入つた当初から円満であつたのであるが、被告は勝気な性格を持ち、且つ原告より十一歳も年上で、再婚でもあつたので、日常の家庭生活においては原告に対し寧ろ指導的であり、原告に相談することなく家事を処理し、所謂姉さん女房であつたのに対し、原告は内気な性格の持主であつたため、右のような被告の行動態度は原告に対しては実際以上に一種の圧迫感を与える結果となり、前記婚姻届出の頃を境として、原告は次第に被告との家庭をうとましく感ずるようになり、家庭外で飲酒することも多くなるうち、たまたま飲み屋で働いていた佐藤文子と寧ろとなり、昭和二十七年一、二月頃同女と情交関係を結ぶに至つたこと、原告はその後、文子が原告の子を懐胎したことを知り、被告との家庭生活は前記の如くであり且つ被告との間に子を儲ける見込もなかつたので、被告と円満協議離婚をすべく文子との関係をも有のままに告げ離婚を申出たが、被告が応じなかつたので、漸く気まずくなり昭和二十七年十月初め、着のみ着のままで従来同棲して居た被告の肩書居宅を出て文子と同棲するに至つたこと、文子は同年十二月十五日原告の子である女児(真也子と名づけた。)を分娩し、原告は、爾来、文子、真也子と起居を共にしたまま現在に及んでいること、而して原告は右家出後昭和三十年十二月末頃まで、被告に対し毎月金一万円宛を生活費として交付すると共に円満に離婚しようと思い、原告がその父の援助を得て買求めた被告の現在する原告の特有財産であつた居宅(建坪約十四坪)及びその中にある家具物品類を全部被告に贈与することを条件に離婚を申出たこともあり、又被告が昭和二十九年二月に申立た夫婦関係調整の調停及び原告が昭和三十一年五月申立てた離婚の調停においても右の条件による離婚を申出でたが、いずれも被告の容れるところとならなかつたこと、尚又、昭和二十八年秋及び昭和三十一年十二月の二回に亘り、原告の実父が同年四月には原告の実母が、夫々山口県下から上京して、原告のため離婚を斡旋したが、之亦被告の意を翻すことが出来なかつたこと、一方被告は、原告が前記の如く文子と起居を共にするようになつて後、前記原告の特有財産である所有名義を原告に無断で自己名義にしてしまい、昭和三十一年六月頃には原告の勤務先の重役に対し又その事務室において虚実取りまぜて原告の行動を言いふらしたこともあつて原告をして遂に同年九月頃同会社を退社するのやむなきに至らしめた他原告に対しどんなことがあつても離婚しないと言つて刄物を振廻したり、或は又、原告と文子の住宅や近隣に来て、大声で聞くに堪えない雑言をわめいたりして之がため原告をして数回転居するの止むなきに至らしめたこと、しかし原告は被告と別居後前記の如く被告に対して生活費を交付していた昭和三十一年十二月末頃まで、自ら右金員を持つて被告方に至り、被告と肉体関係を結び、その後も、本件訴訟提起前は勿論、本訴提起後においても宿泊はしないが時折被告方に来ては被告と食事を共にすると共に依然として肉体的交渉を続けていること、以上の各事実を認定することが出来る。原告本人の供述(昭和三十二年十月二十五日、昭和三十三年二月十一日、同年八月二十八日及び昭和三十四年五月二十七日訊問の分)及び被告本人の供述(昭和三十三年二月十一日、同年四月二十三日及び昭和三十四年一月二十一日訊問の分)中右認定に反する部分は遽かに措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

四、以上認定の事実に徴するときは、被告はなお原告との婚姻の継続を希望しているが、原告は昭和二十七年十月以降佐藤文子及び同女との間に儲けた真也子と起居を共にし居り、同女等に対する愛情を深め、被告との婚姻を解消しようとして居り而も前段認定のような双方の性格の不一致と相まちもはや将来双方の円満な結合は期待し得ない状態に在るものと認められる。

然し原被告の婚姻が以上の状態に立ち到つた決定的要因は、原告が妻たる被告を差し置いて他に情婦を持ち之と同棲するに至つたからであり、而も本件においては、前段認定の通り原告は昭和二十七年十月頃から引き続き現在に至る迄右情婦と起居を共にしながら、他方被告とも時折肉体的交渉を持つているのであるから、(尤も此の事は本件弁論の全趣旨を参酌すれば、原告は結局気弱であることにも因ることが窺がわれないでもない)原告は有責であり、勝手、ふしだらであると謂うべく、本訴請求は到底是認することはできない。

原告は同人が佐藤文子と関係を持つに至つたについては、被告も一半の責を負うべき旨主張するけれども、本件弁論の全趣旨に徴するときは、家庭生活乃至夫婦生活に於て被告が独断的、強制的で原告に責任のみ負わせて無理解であるために、原告が同居に堪えられなくなつて佐藤文子と関係を持つに至つたものとは認め難く、むしろ、被告の原告に対する姉さん女房的態度を内気な原告が実際以上に圧迫感として受取つたこと前段認定の通りであり、しかも原告は、婚姻前被告が年長であつたことを知つていたものであり、かかる場合の婚姻はその発足後或る期間を経過すると往々障碍が起り易いことは一般的に考え得た筈であるに拘らず、敢えて被告との婚姻生活に入つたのであるから、原告としては正常円満な婚姻生活の維持に積極的に努力すべきであるに拘らず、本件全証拠に照しても斯る努力をした形跡のない点並に本件弁論の全趣旨に鑑みれば、原告は被告の前示の態度に圧迫感を覚え、被告との家庭生活にいやけがさし外出して飲酒する機会が多くなり、此を契機として佐藤文子との交渉を持つに至り、更に被告に対する疎隔感を増したものと認め得るから、前段認定の被告の性格に鑑みれば、被告に全く責任なしとはいえないにしても、その責任の大半は原告が負うべきである。従て前記結論に何等の消長をもきたさないというべきである。

尚原告が、円満に被告と離婚すべく努力したこと、被告が之に応じなかつたこと、及び被告が原告に対して種々いやがらせや名義書換等をしたことは前段認定の通りであるけれども、原告は自ら不貞行為をしたのであるから、円満に離婚しようとする原告の努力に対して被告が応じないことは固より被告を責むべき事由とはなし得ない。又被告が右のようにいやがらせ等をしたことは、固より誉むべき事ではないが、原告の不貞勝手な行為によつて誘発された結果であることは明らかであり而も一般的に観てなお恕すべき行為と解し得るから、右事実を以てしても前記結論には何等影響なしというべきである。

五、よつて原告の本訴請求は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 鈴木忠一 裁判官 田中宗雄 裁判官 柏原允)

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